『ニンゲン御破算』感想

お久しぶりです。

前回の投稿が2017年だったことに自分で引きました。

舞台はそれ以降もたくさん見ているのですが、感想を書こうと頭の中で整理する時間と熱が中々なく…。下書きには「ロッキーホラーショー」の感想が残っていましたが、今回はそちらではなく「ニンゲン御破算」の感想を書きました。

去年の年末にWOWOWで「ニンゲン御破算」とその初演である「ニンゲン御破産」がやっていましたね。「ニンゲン御破算」は東京の抽選が全部外れて、誕生日だからと大阪の公演に応募したら当選したのがいい思い出です。感想に行きます。

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2018年7月5日〜7月15日(日) 大阪公演

作・演出 松尾スズキ
出演 阿部サダヲ 岡田将生 多部未華子 荒川良々 皆川猿時 小松和重 村杉蝉之介 平岩紙 顔田顔彦 少路勇介 田村たがめ 町田水城 山口航太 川上友里 片岡正二郎 家納ジュンコ 菅原永二 ノゾエ征爾 平田敦子 松尾スズキ

あらすじ

頃は幕末。加瀬実之介(阿部サダヲ)は、人気狂言作者・鶴屋南北松尾スズキ)、河竹黙阿弥(ノゾエ征爾)のもとへ、弟子入りを志願していた。大の芝居好きで、成り行きとはいえ、家も侍分も捨て、狂言作者を志している実之介。「あなた自身の話のほうが面白そうだ」と南北に言い放たれた彼は、自分、そして自分の人生に関わってくるニンゲンたちの物語を語りだした―。もともとは元松ヶ枝藩勘定方の実之介は奉行から直々の密命を受けていた。それは偽金造りの職人たちを斬ること。幼馴染みのお福(平岩紙)との祝言を済ませた実之介は、偽金造りの隠れ家へ向かい、職人たちを次々に殺めたのだった。その様子を目撃していた、マタギの黒太郎(荒川良々)と 灰次(岡田将生)の兄弟は殺しのことは黙っている代わりに自分たちを侍にしてくれるよう、実之介に取り引きを持ちかけた。そこへ駆け込んできた娘が一人。黒太郎たちの幼馴染みで、吉原へ売られていく途中のお吉(多部未華子)だった。ちょうどその頃、実之介は、同志の瀬谷(菅原永二)や豊田(小松和重)から、悪事の責任をすべて負わされて切腹を迫られていた・・・・・。(公式引用)

 

 

*ネタバレあり

WOWOWで「ニンゲン御破産」を観た時、阿部サダヲが演じる灰次が台詞を言った瞬間、岡田将生が演じる灰次の姿が過ぎった。18代目中村勘三郎が実之介を演じた時も同様だ。つまり私の中では、先に観た方が優先されている。だから「ニンゲン御破算」より先に「ニンゲン御破産」を観た人は、私とは逆の気持ちになったかもしれない。それでも両方観た上であえて言うのならば、二つの作品は別物だ。名前違いだけではなく、松尾スズキが言っているように演出にも違いがあるし、たとえ伝えたいテーマが同じだとしても本作と2003年の公演は別のものとして観るべきのように感じた。

作品の中で気になって、こうしてブログで書こうと思ったのは「幽霊」の定義だ。お吉の語る幽霊、私はそれが尊重されなかった存在の塊に思えた。

例えばお吉は芸人の捨て子だからと村の人間(黒太郎と灰次は知らなかったが)に手を出されていた。これは女として性欲の目で見られているが、お吉という個の存在は認められていないし本人もその扱いをわかっていない。

実之介は女であるにも関わらずそれを隠して当主として生きてきた。けれど結果的に芝居小屋を建てられたり脚本を書いたりと、個人の行動は尊重されているのだ。それでも女しか味わえない体験、妊娠出産とは縁遠い人生になってしまっていた。

そしてお福。正直彼女が全てを蔑ろにされている気がした。この時は当たり前かもしれないが、結婚自体も家同士の仲を保つもので個人は関係ない。無理やり祝言を挙げたものの、相手は女で守り続けていた純潔は行き場を失っていた。

女としての幸せとか、使い古されたステレオタイプみたいで好きじゃないけれど、わかりやすく説明する上では便利な言葉だ。道具のように外国人と結婚させられそうになったお吉が女として尊重されているわけではないが、周りは彼女を当たり前のように「女」だと思っている。実之介が「男」だと思われているのと同じようにだ。だからこそ、実之介が嫌がっているおじさん呼ばわりをして首を絞められるのは彼女の役割だったかのように思える。

 

演技・演出面に関しては私が語るのがおこがましく感じるくらい素敵だった。水を使った演出は初めて見たので特に印象的。後はラストシーンで客席にライトが当たった数秒の間がすごく長く感じられた。思わず表情が強張るようなあの感覚は、もしかしたら緊張していたのかもしれない。出演者になった気分でとは言わないけど、鶴屋南北が語っていた「客席の方がドラマがある」という台詞が頭に過っていた。生で観れて良かったと、つくづく感じる舞台だ。